5歳〜12歳まで鎌倉市大町に住んでいました。
たった7年間ですが、小学校時代の思い出は鮮明です。
住んでいたのは、鎌倉市大町。バス停は名越というバス停で、鎌倉から逗子駅に行くバスの路線です。
あの頃の鎌倉は静かでした。今でこそ観光客がわんさか毎日押し寄せる街になってしまいましたが、50年前の鎌倉は住民だけ。店もそこで暮らす人がお客さんです。
家族は両親と兄弟3人の家族。私は兄と弟に挟まれた女の子。
自然もそこそこある、海と山に囲まれた鎌倉で、兄と一緒にチャンバラごっこをするおてんばな子供でした。
そして食いしん坊、食べるものへの興味と執着心が強く、5歳上の兄よりも食いしん坊でした。
そんなやんちゃで食いしん坊な女の子の鎌倉で育った思い出を綴ります。
五右衛門風呂
当時住んでいた家は、古い民家。風呂が五右衛門風呂でした。
自転車の補助輪が取れて乗れるようになった頃、よくバランスを失って川に落ちたものです。その頃は川も汚く、いわゆるドブ川。浅い川ですが、そこに溜まったヘドロで服も汚れます。
母親は大急ぎで、五右衛門風呂を沸かすのです。今のように蛇口をひねればお湯が出てくるのはもちろんなく、ましてご近所もガスで沸かす風呂が多い中、家の裏手にある外の炉から、薪をくべて火を起こし、それで鉄でできた風呂に張った水を沸かすのです。
母が外で、薪をくべながら、「もういい?」とドボン。あっ、ドボンと言うのもコツがいります。風呂の周りと底の鉄が熱くなるため、木でできた踏み板を踏みながら沈め、風呂に浸かります。
子供の軽い体重では、この板を踏んで入ることは何とかできても、入っている時にちょっと動いたりすると、バランスを失ってお尻の下の板がぷかっと浮いてしまうのです。浮き上がった板に顔はぶつけるは、外れた板でそこに足を着くと「あちちちちっ!」。
薪をくべて沸かす湯は時間もかかります。冬に川に落ちた際など、汚れた服を外で脱ぎ捨て、風呂場に駆け込み、外で薪をくべる母に「もういい〜?」と声をかけながらも待てずに、一気に踏み板を沈めてドボーン。「あちちちっ!冷たい!」
温まった湯は上に上がり、そこは冷たい水、という、水の温度による循環を体感したのであります。
出前
今は出前がなくなりましたね。出前とは今でいう「デリバリー」。今のようにピザとか寿司だけではありません。町のラーメン屋、蕎麦屋が当たり前のように出前をしてました。
「おかもち」と呼ばれるアルミのボックスの蓋をスライドして上に上げると中は2段ぐらいに仕切られていて、そこに店で出すのと同じ器で、上にラップをかぶせた料理が入っているのです。
大抵、バイク(ホンダのカブ)の後ろにおかもちをセットする台があって、おかもちの手を引っ掛けるフックの上部がバネになっているのですよね。バイクの振動にもそのバネが緩衝材となっておかもちの中のラーメンの汁がこぼれないという。あれはすごい発明ですよね。
で、まあ、子供が3人いて、てんてこまいの母は夕飯を作るのが面倒で、また私の母だから食べることが好きだったんでしょうね。よく出前を取っていました。
近くに寿司屋、ラーメン屋、蕎麦屋とあって交互で。
近くに親戚が住んでいたのですが、その家でもよく出前を取っていましたね。昼にラーメン、お客さんが来ると寿司という具合にね。
食いしん坊だった私は「今日は出前を取ろう」と母が言うと嬉しかったものです。ラーメンも食べたいし、カツ丼も食べたい、親子丼もいいし、チャーハンもいいな、もう頭の中には全ての料理、といっても昔のラーメン屋、蕎麦屋の代表的な大衆メニューではありますが、その絵がグルグル。
「チャーハンを頼むとスープが付いてくる」「ラーメンは美味しいけど伸びるとちょっと寂しい」「あそこのカツ丼は脂身が多いし、肉が硬いので」「鍋焼きうどんはエビの天ぷらと色々入っているのがポイントが高い」など、子供ながらに評価をしていました。
あの頃のラーメン屋や蕎麦屋のことです。カツの肉は脂身が多く、固く、チャーシューも今のようにトロトロで柔らかくはありませんでした。チャーハンのスープは化学調味料の味がするし、出前で届いたラーメンはどんぶりの半分以上が伸びた麺でスープが上から見えない。
でも寿司屋の出前だけは違いました。と言っても決して裕福ではないサラリーマン家庭だったので、寿司の出前など子供が食べられるのは滅多にないのですが。
T寿司は、鎌倉の文豪やグルメが行くという、有名な寿司屋でした。駅から離れた住宅地にその店はありました。
もっぱら店で食べたことなど一度もなく、もっぱら出前。しかも並。いくらやウニがのった上寿司など大人になるまで食べたことがありませんでした。
著名人が多く住んでいた鎌倉は、食通の人も多く、そのグルメな著名人御用達ともなれば、鎌倉の名店と呼ばれたものです。
T寿司もそういう店でした。しかし子供には、美味しいけど量も少ない寿司です。それだけでは足りるわけもなく、たまに寿司を取るという我が家の大イベントがあった際には、食卓には、母の作ったお吸い物、煮物などが並びました。
おそらく並の寿司は9カンぐらいだったでしょうか。食べる順番を決めて。一番好きなものは後に残します。並だと、マグロやエビ、上だといくらやウニです。好きなもの→滅多に食べられないもの→高級なものという順番を小学生の私は優先順位をつけていたのです。
そしてもう一つ気をつけなくてはいけないこと。「食うや食われず」の競争です。私が心踊り、一人前の寿司桶を宝物を見るかのごとく、丁寧に愛でて、一つ一つの寿司をゆっくりと味わっているその横で「おっ、エビ嫌いなんだ!もらった!」と箸を伸ばし、かっさらっていく。その悔しいことと言ったら。この恨み、後生大事に、というものですね。