鎌倉育ちの食いしん坊子供の回顧録 第2話 アメリカ人のお弁当とウィッシュボーン


アメリカ人のお弁当

 

近所に同じ小学校に通うアメリカ人のNちゃんが引っ越してきました。赤毛で白い肌にそばかすが沢山ある、当時みんなが読んでいた童話「長靴下のピッピ」にそっくりなNちゃんでした。

Nちゃんと小学校のクラスも一緒になり、朝、家の近くのバス停で待ち合わせをして、帰りも一緒に帰り、一緒の時間を多く過ごしました。

Nちゃん、両親共アメリカ人でしたが、コミュニケーションに困ったという記憶がありません。きっと子供だったから、日本語を覚えるのが早かったのでしょうね。

私たちの小学校はお弁当でした。12時になり、一斉にランドセルの中からお弁当を取り出します。

Nちゃんは赤いギンガムチェックのハンカチで包んだサンドイッチ、りんご1個、ビスケットのお弁当。毎日毎日同じもの。

サンドイッチはピーナッツバターとジャムをはさんだ大きなサンドイッチを一つ。りんごは丸ごと1個。ビスケットはトーハトのココナッツビスケットを2〜3枚。

来る日も来る日も同じもの。

でも子供心に羨ましかったのです。お菓子は原則禁止でした。ビスケットを持ってくるNちゃんが「ちょっとずるいな」と思いつつ。先生もアメリカ人の食習慣が違うことは黙認していたのでしょう。

ココナッツビスケット、家のおやつによく買ったもらってました。学校には持って行けなかったけど。。。

ウィッシュボーン

 

ハロウィーンパーティーなど当時はありませんでした。存在すら知りませんでした。

小学校の同級生であり、近所で仲良くしていたRちゃん。

Rちゃんの家族や親戚は国際色豊かでした。お母さんがイギリス人と日本人のハーフで、お母さんの兄弟もそれぞれ色々な国の人と結婚し、鎌倉の材木座の山の上に親戚の3家族と3件の家で住んでいたのです。

毎年、「仮装パーティー」をRちゃんの家で開催します。Rちゃんの同級生で私だけが毎年お呼ばれしていました。

Rちゃんのお姉さんはもう中学生で東京の中学に通っていたので、垢抜けた、東京の同級生のお兄さん、お姉さん達が集まりました。

Rちゃんの美人のハーフのお母さんがチキンを焼いてくれました。オーブンで焼くローストチキンなど、私の家では母が作ったことがなかったので、オーブンから漂うチキンの焼ける香りはまさに外国に来た気分でした。

仮装パーティーなので子供も大人も仮装して参加します。パーティーに慣れていない子供どころか、仮装パーティーなど何を仮装すれば良いやら。今でこそ、かぶり物など仮装のグッズが100均でもネットでも買えますが、当時はそんなものは普通の人が使うはずがなく、私は母にコーディネートしてもらった「マッチ売りの少女」スタイルで参加。

Rちゃんのお姉さんの友人でインド人とのハーフの女の子がいて、彼女はインドの民族衣装のサリーで登場したことは、あまりの美しさに目を奪われたこと、今でも目に焼き付いています。

食べたことのない、料理やお菓子に出会うことができ、外国語の飛び交う異国情緒がそれはそれは小学校低学年の私には楽しい夢のようなパーティーでした。

夜のパーティーなので、その日はRちゃんちにお泊まり。

翌朝、大人たちはまだ眠っている中、Rちゃん、お姉さんと私でお腹を空かせた子供たちは自分たちで朝食を作ります。

テーブルの上には大きなお皿に昨日の食べ残しの丸ごとチキン。

子供たちで、切り分けた後のチキンの骨についた肉を指で取りながら食べます。

Rちゃんが「これ知ってる?」とチキンの首の部分の骨を取り、見せてくれました。

「これ、ウィッシュボーンって言ってね。二人で両側からこれを引っ張るの。大きい骨が取れた方が幸運なんだよ。」

V字になった細い鶏の首の骨を二人で両側から引っ張ります。V字の付け根の部分が取れた方が幸運がある、ということ。

翌朝のウィッシュボーン行事に至るまで、10歳の子供には夢のようなパーティーでした。